合格祈願も、しない

昨日も書いたのですが、受験生を持つ我が家ですが、合格祈願のために神社仏閣に行くことは致しません。

 

 

そもそも初詣に行かなくなった原因と言うか、わたくしがラプトブログに辿り着いたのは息子の「初詣には絶対に行かない。神社仏閣にお賽銭なんて入れない」との発言が発端。

息子には神社仏閣に何も考えずにお賽銭を入れて願いごとをしている大人達が、それはそれは滑稽に見えていたそうです。

 

なんて不信心な、と当時は嘆いていたわたくしですが、今では自分の愚かさが恥ずかしいばかり。

 

神社仏閣にお賽銭・お守り・お札・絵馬のお金をお支払いするのなら、その分子供達に投資(?)します。

 

とは言え、受験生とは思えない勉強のペースの息子(笑笑)。

主人はその姿を見てイラつくやら、情け無く思うやらで、複雑な心境の様です。

 

自分の興味のあることは徹底的にやる。

 

 

英語の勉強はネイティブのYouTube番組を見る。と思えば、なんだかよく分からない化学の専門書みたいな本を読んでいたり。受験生が必死に参考書を見る時期だろうに、ものすごくマイペースです。パソコンやスマホに張り付いて、機能を試したりもしていますね。

基本的に家でやる作業ばかりなので、学校からは直帰します。「お友達いる?」と心配になったこともありますが、学校では休み時間に、数学の問題を解答とは別のやり方で解く会みたいなことを、教室の後ろの黒板でみんなでワイワイやっているとのこと。そのおかげでクラスがまとまっていると先生に言われ、憂鬱なはずの保護者会で意外な一面を知る。

1か月に1回くらいは、お友達同士でカラオケに行くようです。行ったら一日中歌うらしい(笑笑)。朝から夕方まで何時間居ても料金が同じというシステムのカラオケBOXがあるらしく。昔よりカラオケが身近でびっくり(笑笑)。

 

英語が流暢に話せる数少ない生徒なので、何かそういう類の行事があると駆り出され学校に拘束されることを嘆いていましたが、普段のテストがあんななのにほどほどの評価をつけてもらえたのは、ある意味で学校に貢献していたからなのではと思えてなりません。

 

普通の勉強をしない割には追試には引っかからないのが不思議ですが、主人がイラついたり不安になる気持ちは、普通の感覚でしょう。

わたくしも普通の感覚のままだったら、気が狂うくらいのマイペース加減だと断言出来ます。

 

「人生の大事な時期に、くだらん勉強や授業で時間奪われてる」と言うのが本人の言い分。

小学生の頃に教科書の歴史や科学が嘘だと気付いた息子は、その手の教科は卒業ギリギリの単位でクリアすることを公言していました。普通の学校教育者にはけしからん話だと思います。ですから、教え甲斐のない生徒であったことは想像に難くない。保護者会が憂鬱だったわたくし。

 

それでも英語と国語の読解力はピカイチだし、分からないことや疑問に思ったことは徹底的に調べている。そんな息子にラプトブログを読むように勧めたこともありますが、ラプトブログの宗教的な部分にまだ抵抗を感じる様で、、、

受け入れ半分疑問半分の様ですが、影響を受けているのは勉強の仕方をみれば伝わって来ます。

まだ神様のために自分の才能を磨くということを理解はしておらず、ただワガママを言っているだけにも

見えますが、本人がどのような心理でいるのかはわからない。

 

「このやり方で受け入れてもらえないなら、大学なんて行く価値がない」と豪語する息子なので、わたくしにも相当の覚悟が必要でした。

 

学校の成績が良い=頭が良い わけではないことを受け入れるのは、普通の感覚の親としては試練に近いです。

 

ですが、学校の成績を上げるのための勉強をしていたら、自分が「精神的に死ぬ」と言うことを早くから悟っている我が家の子供達を止めることは、わたくしには出来ませんでした。

自分の才能を伸ばすのは実際これからと言えるでしょう。それを神様のためにやるという思考に辿り着くかも分からない。そうであって欲しいと日頃から言っては来たつもりですが、どこまで伝わったでしょう。ただ、中高時代は精神的に殺されないようにするのに必死だったのだと今振り返ってみて分かります。

今の教育システムでは、有益なものは生まれない。

 

下の子には同じ過ちを繰り返さないよう、いい意味で覚悟がついています。

 

「子供達に投資」は、わたくしの場合は参考書や塾ではありません。(それらも時には必要です)

2人とも絵を描くので、スマホやパソコン、材料素材だったりします。

 

RAPT | RAPT×読者対談〈第123弾〉個性豊かな才能あふれる人々を生み出す社会へ。

 

 

勉強の逃げ道ではなく、、、神様のために生きる、の意味を一年の締めくくりに考えました。

世界中の子供達が神様に導かれ、才能を磨いて行くことが出来る世の中になるよう祈ります。

 

どうぞ良い年越しを。

 

 

お読み頂きありがとうございました。