先日のTwitterの記事や朝の祈り会でもお話がありましたが
神様の裁き。
群馬は李家の拠点で、神様に反逆する行動ばかりを起こし
先月も裁きと思われる事象がありました。
【裁きに次ぐ裁き】中国共産党・李家の最重要拠点「群馬県」、1時間で120mm超の“記録的大雨”相次ぐ | RAPT理論+α
日本各地でこのようなことが起き始めると、先日の御言葉で宣布されました。
(詳しくは「朝の祈り会」9月分に収められています)
RAPT | 朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入
ですが、義人の多い地域では神様が憐れんでくださり
このような事態になることはないとのこと。
信者の特権中の特権だと思いました。
義人ひとりひとりの役割の大きさも感じます。
聖書には「一人で千人、二人で万人」との表現が申命記にありますが、
今まさにそれを感じています。義人一人の役割(祈り)は千人に等しいのです。
台風15号で静岡県が甚大な被害を受けましたが、それだけでなく
指揮の遅れが指摘されています。
信仰を持ち聖霊に守られていることに改めて感謝したいと思いました。
今朝は職場への運転中、すっかり忘れてしまっていたけれど
神様からの恵みとしか思えない出来事を思い出しました。
娘が高校を辞めてから数ヶ月後。
その高校からの文書が届きました。
娘が高校を辞めたのは5月初めでしたので、1学期の授業料を振り込んでいました。
高校側の書類には「理由の如何を問わず一切返金致しません」との文言がありましたし
辞める時から返金について考えていませんでした。
それが、「お口座に返金致しました」との連絡でした。
1学期分、ほぼ全額返金されていました。
???
未だに返金理由は分かりませんが、文書まで作成して下さっているので
誤送金でないのは明らかです。ありがたく頂戴しました。
この時も神様の愛を大きく感じたことを今朝、ふと思い出しました。
思い出したらじんわりと体が熱くなり、聖霊を受けていると感じました。
世間的に考えると
「学校を辞めるなんて、授業料(私立高校)がもったいない。」
「教科書代も、もったいない。」となると思いますが、信仰を持つと
そういう損得勘定は捨てなければいけない時があります。
この時プライドも捨てました。
世の中で言われている「ハクが付く」とか「傷が付く」とか
どうでもいいと思いました。
「捨てても神様が味方についているのだから、怖いものは何もない。」と思うこと。
それが信仰心なのだとこれまで何度も気付かされる出来事がありました。
神様はこのようにして私達の周りの事象で
いろいろなことを示してくださるのだと常に感じるようになりました。
思い出して感謝することで
聖霊が受けられることもあるのだとも感じました。
今回の群馬や静岡の出来事。
皆様はどうお考えになりますか?
お読み頂き、ありがとうございました。